撮影:加藤義一(以下の写真も同じ)


文責:WNN−C愛媛発事務局 前田典生


 10代の青春を眼前に突き付けられた時、僕らはいつも「羨ましい」と感じる。
 通学途中の学生、夏の高校球児、恋愛中の恋人たち...。この映画「がんばっていきまっしょい」から僕らがまず感じるものは、これと同じ類のものである。スクリーンからはちきれんばかりの青春。それをまず「羨ましい」と感じてしまう。彼らは輝いているのだ。これは、僕らが年を取りくすぶっているから、感じるものではない。この映画は僕らに、そんな輝きを思い出させる元気を与えてくれる、そんな前向きな映像に溢れており、これは、10代の同世代の人間にも、そして年齢を経た大人たちにも同じ感覚を与えてくれる映画だ。

 冒頭は主人公篠村悦子役の田中麗奈が、穏やかな瀬戸内の海で漕がれているナックルボートを見つめるシーンから始まる。防波堤に座る悦子の赤いネルシャツと、空・海の色合いが大変綺麗な映像だ。
 僕はこの映画「がんばっていきまっしょい」試写をみる前に不安でもあり、楽しみにもしていたことが一つあった。
 原作「がんばっていきまっしょい」は、その書評にもあった通り「底抜けに元気」(作家・高橋源一郎)で、「あっけらかんと明るい」(作家・早坂暁)作品である。
 それが、映画化されるにあたって、原作通りのイメージが主張されると、軽くなりすぎるし、逆に、ノスタルジックに描くと暗くなりすぎる、こういった風に映画化には大変難しい題材だ、と思っていたことが僕の不安兼期待であった。
 そしてそれには映画中に流れる音楽が大変重要な要因であるだろうと感じていた。それをプロデュースの桝井省志氏に聞いてみたところ、「私も監督も音楽担当のリーチェwithペンギンズに惚れ込んでいる。期待してくれ。」と言われ、僕の期待は更に大きくなっていたのである。

 映画が始まってわずか数秒で、僕の不安は杞憂に過ぎないものであり、かつ、期待以上にこの映画が進んでいくであろう事がすぐに分かった。

 「映画が始まった途端にいきなり涙が出ることなんてあるんだろうか?」

 こういえば、この映画の素晴らしさを、まだ見ていない人に伝わるだろうか?美しい映像を聴覚から感じさせるような音楽は、カーペンターズのように優しくもあり、レイ・チャールズのようにソウルフルでもある。音楽が映像にマッチしている、という表現を越えている世界が僕の前に展開され、涙が止まらなかった。
 音楽についてもう少し言及すると、合宿シーンの時のギターのストリングス音は、波の音とよく合っていたし、ボートレース新人戦の時の音楽は、都会的で、地方の高校生の青春とのミスマッチが、「新人戦に敗退する」というカタルシスを音楽的にも表現し、映画を観ている人間を不安定な気持ちにさせる(=映画中の人間と同一化させる)演出を担っていたように感じた。
 これが監督ほか、制作サイドの意図的な演出ならば、見事としかいいようがない。
 果たして映画のストーリーが進んでいくと、磯村監督が本当に愛媛を愛してくれてカメラを回していたんだな、というのが、愛媛県在住の僕にはすごく伝わってきた。伊予鉄道の電車の音、学校から見える松山城(日本中の城郭の中で一番雰囲気のあるたたずまいだ!)、学校の昼食シーンで学生たちの飲む「らくれん牛乳」(愛媛県人には馴染み深い)、主人公の頬張る「ひぎりやき」など、ディティールにまで、松山の「街」が実感できる。
 それは、ロケ地として撮影された場所については言うまでもなく、全編愛媛ロケを敢行したことは、この映画の成功の一番の要因であると感じられた。とにかくこの映画は美しい。絶対不可侵の聖域のような美しさを持っている。これは主に、次の二つの側面から感じることができる。
 その一つは、キャストの少女たちの美しさだ。僕の言う「美しさ」とは、もちろん美人とかそういう俗っぽい話ではない。
 「小さな宝石」のような印象を受ける主人公役の田中麗奈のキュートさは、それを前面に押し出していないため、より一層それが際立ってくる。他のボート部メンバーについても、役者としてのそれぞれの個性を役の上で十分に発揮し、かつ、大変キュートだ。
 それは、冒頭、僕の述べた、「羨ましさ」に結びつく感覚を、観ているものに与えるものだと思う。
 もう1点は、なんといってもボートの描き方だろう。映画で扱う題材に徹底的にこだわる映画製作の手法については、アルタミラピクチャーズの王道であり、そしてそれが、映画興行の成功に結びつくことは、周防監督作品「ShallWeダンス?」の成功で確立されているのは明白であるが、今回の磯村監督作品「がんばっていきまっしょい」についても同様のことがいえる。
 スタッフとして揃えたボート指導者については、愛媛の県立高校で実際にボート指導に携わる井手先生の協力を得ているし、この方がいなければ、あの素晴らしいロケ地「鴨池海岸」の発掘もなかったとの磯村監督の言である。
主人公の少女たちも井手先生の指導の下、実際に手に豆までつくって、練習している。また、その他にも監督助手の堀川氏は自身の青春時代をボート部にて過ごしていた人間であるし、愛媛県ボート協会員の方の協力や、エキストラのほぼ全員が現役でボートに関わる人間ばかりである。
 人間だけではない。湖面ボートレースシーンの撮影に関しても撮影ボートは撮影のしやすい手作りボートであるし、本映画の唯一のセットである艇庫の作りも細かいサイズまで本物以上である上に、設置されている鴨池海岸との融合性の観点からいっても抜群の出来栄えであった。(実際艇庫の取り壊しの際には、地元住民から残しておいて欲しいとの声が多数あったほどだ)
 以上の意味からいうと、この映画はまさにドキュメンタリーに近いものだ。「ボートを少女たちが漕ぐ美しさ」を撮りたくて、この作品を手掛けたというほどの磯村監督であるから、ボート面からみた映画の進行については文句のつけようがなかった。
 まず、ボートの専門用語についての説明めいたものは一切ない。こう書くと、ボート素人にはこの映画はとっつきにくいのでは、と危惧される方もいるかもしれないが、そんなことは全くない、いや、寧ろこれも磯村監督の演出であろう。
 というのも、主人公の少女たちは、映画のストーリー上、ボート素人である。だから、観ている者は、彼女たちと一緒にボートを学んでいく、そんな同化性を感じながらストーリーの中に入ることができるのだ。
 また、映画の映像としてのボートのカメラへの収め方についても、映画の後半のほうが、うまくフレームに収まっている感じがするのである。これについては、たった2時間の中でも観ている人間の眼が肥えてきた、という考えもできるが、後半のボートレースシーンをより際立たせる演出なのかと考えてもしまう。
 ボートについては、もう1点、これが1番面白いポイントだと思うのだが、かなりのレースシーンがありながら、ボートの「スタート」シーンを描いているのは、最後のレースシーン場面のみであるという点である。この演出により、観ている人間はボートレースの映像を冗長だと感じることもなく、また、映画のストーリーとしても、「ゴール」ばかり・「結果」ばかりを求めていた少女たちから、「結果」だけでない青春の輝き、それは、「物事を始める」「スタート」が大事であることを学んだ少女たちの成長を見事に描いた演出だと言えるだろう。

 以上の「美しさ」を数限りなく表現している、この「がんばっていきまっしょい」はかつてないテーマをあつかったという新しさからいっても、日本映画にはない素晴らしさをもっているし、「青春」という、映画には普遍的なテーマを扱ったなかでも、映像・音楽・ストーリーテリングどの面からみても出色の作品である。

 あなたの心を浄化させたいのなら是非観るべき逸品の映画作品である。


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