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夏の終わりの頃だった。
平成16年の9月、私は久しぶりに、愛媛を訪れた。『船を降りたら彼女の島』のTV放映の紹介番組に出演するためだった。


プロデューサーから、主演の大杉漣さんとロケ地の大三島を再訪して色々と話をして下さいと言われた。何か大杉さんと映画の懐かし話をするのも、年寄りっぽくて嫌だなぁと思ったけれど、大三島へは行ってみたかった。撮影からずいぶんと時がたったような気がするけど、ほんの2年前の事である。

 大三島のロケ地「ふるさと憩いの家」と小学校は、2年前のままというか、撮影用に作り替えたまま残されており、大杉さんがソファに座ったりすると、ああ、まだ周三さんが元気に生活しているんだ、と妙に嬉しくなった。自分が撮影した場所を再訪した経験が私には余りない。まして、ロケセットがそのままの姿で残される事もないので、それは奇妙な経験だった。まるで映画の中の家族が実在したように思えてくる。そうなると、久しぶりに我々を暖かく迎えてくれた旅館「茶梅」の家族の皆さんや役場の方々まで、映画の登場人物に思えてくる。その時は少し不思議な気分になったけれど、今思い出せば当然のように思える。それは『船を降りたら彼女の島』の映画撮影そのものが、まるで映画のように私に『記憶』されているからで、スタッフは色々と大変だったろうが、私には本当に楽しい映画の現場だった。冬の撮影だったのに私には寒かった『記憶』がない。

 

『記憶』
と言えば、
よく映画でも取り上げられるテーマだけれど、私の映画でも大きなモチーフで、『船を降りたら彼女の島』では『鶴姫の鈴』と『三ツ首さん』がそれである。人の『記憶』というのはちゃんと覚えている事より、忘れてしまっていると思い込んでいる無意識の『記憶』の方がずっと沢山あって、その方がもしかして大切なものかもしれないと私は思っている。それは例えば、ある音だったり、光の明暗や、香り、味覚と言ったものかも知れない。主人公、久里子は『鶴姫の鈴』の存在は忘れていても、その音色は覚えている。私は『追憶』の映画が撮りたかった訳ではなく、『記憶』の映画が撮りたかった。

 「三ツ首さんは、結局、本当にはあったの?」と観客の方によく質問された。過ぎ去ったある事について親や兄弟、友人達と全く記憶の内容が違っていて「いや、絶対違うって」と言ったり言われたりする事は誰にでもある。私の予感では、三ツ首さんはいつか見つかり、久里子の記憶違いではなかった事が証明されるであろう。

 大三島を訪れた翌日は『がんばっていきまっしょい』のロケ地へ行く事になった。主人公の悦子達がボートの練習をした大西町の鴨池海岸だ。あれからもう7年も経つが、特に感慨はない。7年が長いか短いか・・・どうだろう、よく分からない。映画の仕事はどこか時間との闘いであるから、撮影現場を離れたら、あまり時間を気にしないでいたいと思う。

 

映画の冒頭で悦子が座っていた堤防に上がってみる。
瀬戸内の海が見える。夏の陽を受けて輝いて見える。7年前の海は変わっていない。そういえば、小学生の久里子も堤防に腰掛けて海を見ていた。そして大人の久里子も。悦子も久里子も別の映画なのに、同じように堤防に座って、瀬戸内の海を見ている。私がこの2本で撮りたかったのは、明るく光り輝く海を見つめる一人の女性だったのかも知れない。

7年ぶりに訪れた「がんばっていきまっしょい」メインロケ地
鴨池海岸(愛媛県今治市)の防波堤にて

磯村監督の作品へのリンク
がんばっていきまっしょい(http://www.altamira.jp/ganba/)
群青の夜の羽毛布(http://www.gaga.ne.jp/gunjyou-night/)
解夏(http://www.gege.jp/)
雨鱒の川(http://www.amemasu.net/)
 




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