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 70年9月、ケネスが再び帰国することになり脱退し、代わりに元<パワー・ハウス>のベーシスト柳ジョージが参加。さっそくアルバム『フィフス・ジェネレーション』の制作にとりかかり11月に完成したものの、12月にミッキーが脱退したため、翌71年1月のアルバム・リリース後、7月にジョン山崎が加入するまではキーボード抜きの4人編成で活動していた。ジョン山崎加入後は、71年7月30日の日比谷野音でのコンサートを収録したライヴ・アルバム『ライヴ!!ザ・ゴールデン・カップス』と、10thシングル「人生は気まぐれ」をリリースしているが、同年12月14日、新宿『ニューACB』でのステージで解散を宣言。暮からスタートした沖縄ツアーの最終日である72年1月3日、演奏中に火災に遭い、楽器が丸焼けになるという劇的な幕切れの中で、グループは解散した。

 その後、73年から74年にかけてデイヴ平尾は、柳ジョージ、ルイズルイス加部たちと<ニュー・ゴールデン・カップス>(<ママリンゴ><横浜酔いどれバンド>と名乗った時もあった)を結成。各地でライヴ活動を展開し、74年8月に福島県郡山市で開催された『ワンステップ・フェスティバル』にも出演している。また、79年8月28日に東京・日本青年館ホールで開催されたデイヴのソロ・コンサート『デイヴ平尾と仲間たち』では、エディ、マモル、加部、ミッキー、柳、アイ高野が出演し、さながら同窓会のような雰囲気の中で、往年のカップス・ナンバーを披露。一日だけの再結成が実現した。
 そして2003年、再びオリジナル・メンバーが集結したゴールデン・カップスは、5月1日の渋谷『クロコダイル』を皮切りに、5月4日、6日の横浜『マトリックス』と3日間にわたって白熱のステージを展開。オールド・ファンはもとより、伝説の中でしかカップスを知らない若きロック・ファンたちをも狂喜させたのである。