12月6日(日)に開催されました、「横浜シネマリン会員限定無料上映会
+交流会『がんばっていきまっしょい』」に参加しました。
 横浜シネマリンの八幡温子代表が、アルタミラピクチャーズの桝井省志
代表と小学校の同級生だったというご縁から出発したこのイベントは、同
映画館のリニューアルオープン1周年記念でもありました。

 映画に対する素晴らしい志をもって本企画を立ち上げていただいた、
八幡温子代表によるご挨拶の後、イベントはまず「がんばっていきまっし
ょい」の上映からスタート。
 この時流の中での35ミリフィルムでの上映は大変に貴重でした。
 前から2列目の席でフィルムの傷の具合、あるいはパンチマークなどを
目にしていると、実際にはそういうことはもちろんないのですが、かつて
全国の上映を追いかけて訪問した、幾多の映画館での匂いや空気が立ち上
って来るかのようでした。

 また公開当時は映画を通じて自分たちの思春期を思い起こしていたので
すが、いま改めて映画を観ると、それに加えて違う感情や記憶がどっと胸
の中に入って参りました。
 と言いますのも、この映画の中のあらゆる場面やセリフに関しては、当
時の公式ホームページ掲示板、あるいはファン同士が集まった場所での会
話などで、あの時のあの表情は、背景は・・・などとたっぷりと語り合っ
たものです。
 それらの議論が溢れるように甦って来ました。
 加えて、正式に許可を得てほとんどすべてのロケ地をめぐり、現地の方
々ともお話をさせていただき、今でも交流があるのですが、映画に映され
る場所や景色を見ながら、その出会いの一つ一つを思い出していました。
 今ではもう失われてしまった風景も少なくありません。そこを仲間たち
と訪れた日のことを記憶の中で反芻しました。

 映画の中での決勝前夜、眠れぬ夜に5人の少女はいまこの瞬間が思い出
に変わっていくことに、「30になったら、40になったら」とひととき
も立ち止まらずに流れていく時間への思いを寄せます。
 公開当時28歳だった私も、それから17年の時を経て、実際に30に
なり40になりました。
 もちろん私も、がんば会の仲間もこの映画には出演していません。
 でもなぜだか、この映画に参加していたような気持ちになりました。
 17年の間にこの映画と深く向き合い、その場所を訪れ、スタッフ・キ
ャスト・現地の方々とさまざまに交流していく中で、この映画とともに時
を過ごして来たからだと思いました。
 この映画が、特に公開され全国順次上映されていたあの頃が、私たちの
青春だったのですね。

 余談が過ぎました。
 レポートに戻りましょう。

 上映後はまず磯村監督と本作のプロデューサーでもあった桝井代表が登
壇され、原作と出会い、河口湖のボート競技の様子を実際に取材され、
「これは映画になる!」と思われたのだそうです。
 磯村監督はがんば会が当時、ロケ地の鴨池海岸で町の人にも無料開放し
て開催した「星空上映会」以来、15年ぶりのスクリーンでの鑑賞だった
そうで、「一人のお客さんとして観ましたが、わりあい良い映画だと思い
ました(笑)」とご挨拶されていました。

 キャストが登壇される前に「前座」として、作品当時の助監督でいらっ
しゃった、七字幸久さん・板庇竜彦さん・堀川慎太郎さんが登場されまし
た。
 磯村監督を含め、当時の磯村組演出部の完全揃い踏みです。
 撮影所の時代が過ぎ去った今、映画のスタッフはその作品限りの存在で
あり、撮影が終わればもう再び全員が顔を合わすことなどないのが当たり
前なのですが、今や監督あるいはプロデューサーとして第一線で活躍する
皆さんがこうして一堂に会されるあたり、いかにこの作品が作り手にとっ
ても思い出深い、愛されたものであったかが伺い知れます。
 当時の役割分担や現場での苦労した話、印象に残った話などが次々と披
露され、数々のイベントに参加してきた私たちも腹を抱えて笑うようなエ
ピソードが次々に登場しました。
 またそれらのエピソードに垣間見えるのが、やはり主人公たる女子ボー
ト部の少女たち、いわゆる5人娘のキャラクターです。
 現場で遊んでいたわけでもないはずの七字さんを捕まえて、「七字さん
も昔は働いていたんですか?」などと言ってのけたり、教室の黒板に「板庇」
という名前を書いたりしていたようですね。
 特に集中砲火に遭っていたのが、リー役の千崎若菜さんでした。
 堀川さん曰く「許せない(笑)」エピソードが、あんこ嫌いな若菜さん
がそのことを隠していて、日切焼という中身があんこのお菓子を食べるシ
ーンの本番直前になって、「あんこがダメ」だと言い出したエピソードに
は、攻撃されている若菜さんがいちばん大笑いされていました。

 その若菜さんを筆頭に、清水真実さん、久積絵夢さん、真野きりなさん
と、1名ずつ登壇してはその方メインのお話を磯村監督や桝井代表と交わ
し、だんだんと舞台上に揃っていくという形で、この日集まった4人娘オ
ールスターキャストが居並びます。
 今では芸能活動をされていない方も含まれていますので、まさに奇跡の
ような大集合でした。
 田中麗奈さんのみ、名古屋でお仕事があるとのことで集合が叶わなかっ
たのですが、「およそ20年目の同窓会」と言って過言ではない、夢のよ
うな結集だったのです。
 それぞれのトークは、オーディションの様子や撮影時のエピソード、ス
タッフの思い出や5人娘間のやりとり、そして現在の状況に至るまで、こ
の作品を起点にした、20年の結びつきを実感するものでした。
 先述したスタッフもそうですが、俳優さんもまた、集うのは作品ごとに
一度きりです。
 ゆえにその現場が終わってしまったら、もうそこで付き合いも終わって
しまって不思議ではないのですが、この日欠席の麗奈さんも含め、皆さん
今でもしっかりと絆があります。
 あんなことがあった、との暴露話にも実に楽しそうで、「それは語弊が
あるから訂正します!」と割って入って補足が行われるなど、歳月が流れ
てもなお、互いの間に垣根がないことが素敵ですね。
 映画を観て5人娘の友情に胸を打たれた人も少なくありません。自分自
身の思春期の頃を思い出すのでしょう。
 10年経ち20年経ったら5人娘はあの後どうなったのだろう、そんな
思いの答えが目の前にありました。
 それぞれに年輪を深められ、それぞれの家庭や世界を持たれながら、今
でも心が通じている・・・映画のエンドマークの向こう側を見せていただ
いた気持ちがしました。

 そんな5人を見つめる磯村監督や桝井代表はまるで父のような、そして
かつての助監督の皆さんは兄のような、そんな眼差しをしていらっしゃっ
たのが心に残りました。
 と同時に、この作品にとって母であり、5人娘にとって姉の存在である、
ラインプロデューサーを務められ、その後惜しくも逝去された佐々木芳野
さんにもお話が及んだのは、とても感慨深かったです。
 佐々木さんも会場のどこかで、この「およそ20年目の同窓会」を観て
いらっしゃるのではないか、そう思いました。

 トークの締め括りは会場からの質問を受け付けるというものでした。
 怪しく桝井代表の瞳が光られて、最後のそれを私が託されたのですが、
あまりにも大役過ぎて、以下のような質問を絞り出すのがやっとでした。

「今日、改めてこの映画が、作り手の皆さん・演者の皆さんに愛されてい
たと実感しました。
 と同時に、単にシネコンで消費されるようなものに終わらずに、この映
画は公開当時から今に至るまで、観たひとからもとっても愛されて続けて
います。
 その観客からの愛や声を、皆さんはどのように受け止めていらっしゃい
ますか?」


 拙い質問でしたが、磯村監督がこれに答えてくださいました。

「『がんばっていきまっしょい』がプラハの映画祭で上映された時に、チ
ェコの一人の若者が『いい映画だった』と伝えてくれて、まるで自分の青
春を描いたかのように感動してくれました。
 その後日本で、全国の映画館やホールで上映されて、私が行った時に、
すごく熱い思いを持ったお客さんが私の前に現れて、同じく自分のことの
ように感激した思いを伝えてくれるんです。その時にいつも、あのチェコ
の彼が姿を変えて私の前にまた現れてくれたように思っています」

 と、「がんばっていきまっしょい」を単に一つの作品としてではなく、
自分の人生の大切な一部のように受け止めてくれる観客のいる、稀有な映
画だとおっしゃっていました。
 5人娘の最後の挨拶の中でも、そのことに触れていらっしゃった方もあ
りました。いろいろな作品に出演したけれど、ずっと長く、こうやってお
客さんが愛してくださるのはこの映画だけだ、と。


 作り手に愛され、演者に愛され、観客に愛される。
 「がんばっていきまっしょい」とは何と奇跡のような作品なのでしょう
か。
 そして20年弱の歳月を経て、いま一度この三者が集い、その愛を確か
めること事ができたこの場もまた、何と奇跡のような時間だったのでしょ
う。
 こういう機会を作ってくださった横浜シネマリンさんに感謝いたします
とともに、この映画に生を与え、関わった人々の愛と絆を生んでくださっ
た映画の神様に御礼が言いたい気持ちでした。
 いつかまた、皆で会えるその時まで、がんばっていきまっしょい。

「がんば会/和田曜章」