8月26日(日)に行われました湯布院映画祭。そこで、映画上映後に催された『心魔師』シンポジウムでの今野監督、真崎かれんさんによる観客との質疑応答の様子を一部お届けいたします。会場からは、様々な鋭い視点の質問や感想が飛び交いました。

 

 

観客1 今日3作、映画を観たような気持ちがしなかったので、ようやく映画らしい映画を観て本当にすっきりしました。本当に監督ありがとう。細かいところのディテールはわからないところがいっぱいありますけれども、しかしながらあの怖い人たちがいっぱい出てきてサイコミステリーとして十分緊迫感を保って最後までもっていかれたところは、本当に大した腕前だと感心いたしました。来てよかったと思いました。ありがとう。

 

今野 ありがとうございます。第一声からお褒めの言葉をいただくとは思わなかったので。

(会場爆笑)

 

 

観客2 監督にお伺いしたいのですが、診療所をなぜ和の設定にされたんでしょうか?

 

今野 建築というか建物がですか?

 

観客2 はい。旅館かなにかですか?

 

今野 あれは小山町という山梨の街にある、偉い人が住んでいた屋敷で、一般に公開している場所で、そこを借りることになったんですけども、中国の方が日本で映画を撮りたいという気持ちのなかに日本らしいロケーションを見せたいというのもあったので、じゃあ、和風の療養所にしようということになりました。

 

観客2 診察室、カウンセリング室は洋っぽかったのですけど、あれはまた別の場所ですか?

 

今野 いや、同じ建物のなかです。サンルームみたいなのがついてるのも、もともとの…。外見は本当に和風なのですけど、中は洋室になっていて。

 

観客2 実際に精神科とかはリサーチされました?

 

今野 いや~、そもそもは富士吉田にある古い病院を使おうと思っていて、そこは本当に和風だったので、小山町で撮るとなったときに和風でもいいかなと思ったんですけど。あとは、座敷牢のことなんかは結構調べたんですけども。古いサナトリウムというか昔の時代の療養所とかは実際どうだったとかというのはそこまでは調べてないです。

 

観客2 実際精神科とかだと、外部との出入りというのは絶対できないので、夕子が外に出たり入ったり刑事さんが中に入ったりしなきゃいけないから和の設定にしたのかなと。そこはゆるい設定にされたのかなと。

 

今野 僕が最初受けた制作会社さんからのオーダーとしては、できるだけ高い塀があるほうがいいっていう。できるだけ重い門構えのロケーションは用意してくれって頼まれたのですけれど、結局そういうのはなかなか見つからず、薄っぺらいフェンスしかなく、スケスケの。これじゃまずいぞと、僕が思って、その折衷案として鉄条網というか、現場でワイヤーを丸くしてとげを付けてできるだけ塀を高く、越えられないような場所を刑事が越えていくということにしたいと思ったんですけど、どうしてもオープンな感じにはなってしまったなとは思います……。

 

観客2 映画としてはとても面白かったので、ありがとうございました。

 

今野 ありがとうございます。

 

 

司会 あの、診療所っていいますかね、見えないっていいますけどね、なんとなく昭和の戦前のいわゆる肺結核のサナトリウムじゃないですけど、ああいう感じですよね。そういうのはイメージの中にあったのですか?

 

今野 サナトリウムというか、気持ちを落ち着かせる場所っていう設定にしたらと。そうしたら説得力がつくのかなというつもりで考えたとこです。

 

司会 わかりました。映画祭のパンフレットにも少し書かせてももらいましたけど、いわゆる戦前のミステリーみたいな。夢野久作やなんか、そういったものが頭の中にあったわけですか? もともと日本文学の方がくわしいというお話をインタビューで読んだのですけど。

 

今野 そうですね。日本文学のコースではあったんですけど、夢野久作さんはあまり読めてないんですけど、そういうほうが僕としてはテイストは好みではあって、やっぱり中国の方が何を日本に見出しているのかっていうのを考えた時に、そっちのほうのテイストにもっていったほうがいいと思いました。無理に現代の精神病院を再現して至らない部分を見せつけるよりは、ちょっと想像の及ばない文学の世界の環境をつくったほうがいいのかなとは思いました。

 

司会 最後の方で、夕子の正面からのアップみたいになって仏様みたいな顔をするショットがありますよね。あそこは、監督はどういったふうに、どんな顔をしてくれと言ったんですかね?

 

今野 アルカイク・スマイルでお願いしますと。

 

司会 ウルトラマンみたいな。

 

今野 そうですね。だから、もともとの顔があんまり感情が読み取れないというか、そういう部分をもっていらっしゃるお顔だったので、なおさら最後のところで最大限にいかしてもらおうかと思ったんで。

 

司会 真崎さんとしては、自分で満足のいく顔、表情になったと思いますか?

 

真崎 あのシーンを撮っているときは自分のなかでもいろんな感情が次々に出てきたので、何も決めずにやったというか、その時に思った感情でやった顔だったので、できあがったら、自分こういう顔してたんだというのはびっくりしましたね。

 

司会 わかりました。ありがとうございます。それから時代設定ですよね。

 

今野 時代設定は、一応1998年として美術部と決めるときにはオーダーしているんですけども。まあ、最初のラジオではオウム事件のこととかも話しているので、そこらへんのざっくりしたところでやってます。携帯は一切出てこないということで。

 

 

観客3 監督の大学の後輩です。今野さんの映画は学生時代から観ているんですけど、自主制作の時って自分の企画じゃないですか? でも今こうやって誰かの企画みたいなのがきたときに、いかに自分の映画にしていくかってところで、心構えが違ったことってありますか?

 

今野 そうですね、やっぱり全然違う事なんですけど、自主映画で自分が0から考えたものを描くっていうのと、企画があるってことは。大学院を出て、一応商業映画というものを4、5本撮ったんですけど、全部予算が600万とか700万とかの低予算ホラーとかラブストーリーで、メインの主人公はAKBだとかあとはイケメン役者とかっていう方で撮ることが多かった。やっぱり全く自分がやりたいジャンルであったり、雰囲気ではない映画を撮ることがいっぱいもちろんあって、それは僕にとって全く苦ではなくて、やり方としては宿題を与えられたという風に考えてその宿題を解きつつ脚本を書いていくっていう。考え方としては、それは原案を考えた人は本当はどう思っているかというか、原案を考えた人が考えたそのプロットとかあらすじっていうのは、その人の本当の心の深く、奥深くで何を描こうとしたのかっていうのをくみ取ろうっていうところは考えながらやるようにしています。

 

観客3 ありがとうございます。

 

 

観客4 タイトルの『心魔師』っていうのは中国語ですか?

 

今野 中国語の造語らしいです。心魔師っていう明確な意味のあった単語はないらしいです。

 

観客4 日本語でいうと何になりますかね?

 

今野 日本語だと言葉に置き換えられるものがなくて、なぜか中国のポスターとかでは英語になるとExorcist(エクソシスト)になるという。

(会場笑い)

 

今野 心魔師って何なのってことを5回くらい社長に聞いたんですけど、雰囲気でしか教えてくれなくて、だから「心に魔を持った人」っていうのが明確に日本語でいうと……。ということに、テーマをそのまま表しているっていうことなのかなって。

 

観客4 心に魔を持った人ですか?

 

今野 はいそうです。心に魔を持った人間。

 

 

観客5 監督の過去の作品もいろいろ拝見しておりまして、先ほどもおっしゃってましたけれども、低予算のホラーとかそういった企画が今多いというところで、今回の話も霊的なというかオカルティックな話なんですけども、映画を撮りながらその霊的なものをどういった興味をもって撮っているのか? 例えば怖いなって思いながら映画を作っているのか、あるいは人は死んで霊になっても会話ができる存在だと思っているのかとか……。霊っていうものの描き方について何か決まった考え方があれば教えていただきたいなと。

 

今野 そうですね。なんで低予算の映画にホラーがあふれているのかっていうと、ホラーは本来、日本的な幽霊は血糊もなしに、照明はまぁこだわるとことかはあるんですけども、すごく簡単にその場にいる人間とカメラがあるだけで何かを起こすことができるっていうのが、その日本風のとくに血の流れていない幽霊っていうのがあるから低予算映画でホラーがあふれているってのがあって。逆にそこをスタートに、幽霊をじゃあどう見せるのかって、監督の味が出てくると思うんですけども。どうしてもやっぱ僕は黒沢清監督の幽霊のとらえ方というか足まできっちり見せてしゃべるし、歩くし、何かを訴えるし、っていうところは引き継いでしまっているとこはあるんですけども。この映画に関して幽霊は出てきてはいないんですけど……。幽霊の捉え方……逆にどう捉えているのかな(笑)

(会場笑い)

 

観客5 今野さんの作品を観てると、幽霊というかその人でないものとか、その魂っていうのがやっぱりさっきおっしゃってましたけれども、黒沢清さんみたいな、地続きであるもの、全く人でないものの全くゾンビとかそういう外的な脅威というよりは、自分と地続きの概念。なにか別なものの考えが受けつかがれているのかなと。

 

今野 そうですね、だから2、3年前はそのことについてよく考えていて、1時間くらい喋れてたんですけど、今となってはあんまりないんですけども、その頃は例えば、自分の身体を虚ろにしているとか、援交しまくっている女の子とか、自分の身体に対して関心のない女性とかはどんどん幽霊に近づいていくんじゃないかとか……そういういろんな自説をもっていたりしたんですけど、最近はどうしても映画的なトリックというか、そういう具体的な捉え方としか捉えられなくなってしまって、もうちょっと考えたいことではあります。

 

観客5 ありがとうございます。

 

(終わり)