4月25日午前11時45分、
田端義夫さんが肺炎のため入院先の都内の病院でお亡くなりになりました。

あの「オース!」という掛け声が
肉声でもう聞けないかと思うと悲しくてしかたありません。
私たちは、生前の田端さんの音楽活動を撮影させて頂き、
映画「オース!バタヤン」を作らせて頂きました。
これからはこの映画を一人でも多くの方々に観て頂き、
田端さんが遺された歌の素晴らしさを広めて行きたいと思っております。
謹んで田端義夫さんのご冥福をお祈り申し上げます。

 
アルタミラピクチャーズ スタッフ一同

 
これだけの優れた魅力のある人物が亡くなったのは寂しいですし、
歌の世界で誰が跡を継いでくれるか心配ですね。
歌のうまい人はいくらでもいますけど、やっぱりバタヤンは大歌手です。
いい歌をもう一回、オース!の声をもう一回、聞かせて欲しかった。
浜村淳(パーソナリティ/映画評論家)
 
先輩はいっぱいいるけど、オレが先生と呼ぶのはバタヤンだけ。
惜しい人を亡くした。それしか言いようがない。
ミッキー・カーチス(俳優/ミュージシャン)
 
晩年になっても若々しく活躍したバタヤン。御冥福を祈って、合掌。
長田暁二(音楽文化研究家)
 
「白線流し」という曲を作り、コンサートもたくさんご一緒しました。
開演3時間前には必ず声をあたためていたのを覚えています。
とにかくステージに熱心な人でした。
残念無念 バタヤンに別れを告げる 惜別。
寺内タケシ(ギタリスト)
 
あの歌、あのギター。田端義夫さんが亡くなって、
改めて田端さんが僕たちの宝物だったということに気付かされている。
小室等(ミュージシャン)
 
いろんな方の司会をさせて貰いましたが、
一番長かったのは田端義夫さんです。
田端さんが入院されてからは何度もお見舞いに行きました。
今年の1月には新年のご挨拶もしました。
田端さんももう長くはないかもとわかっていながら、
訃報を耳にした時は大変ショックでした。
水木淳(司会者)
 
田端御大と山盛さんと出会えたこと、私の生きていく上での宝物です!
そして、今度は私が言わせてもらいます。「御大、あっちではオンナに気ぃつけや!」
小松永枝(テイチクエンタテインメント ディレクター)
 
高潔な志に敬意を表します。私の人生のお手本でした。
徳差裕二郎(サウンドエンジニア)
 
長い間、私どもの心の支えとなってくださり、本当に有難うございました。
あの世の舞台も「海のジプシー」か「玄海ブルース」で幕が開いているのでしょう。
貴方は永遠です。
田端義夫後援会事務局
 
斎藤寅次郎監督の作品にたくさん出演された田端さん。
田端さんを偲ぶと共に斎藤監督のことも偲びます。
桂千穂(脚本家)
 
生きているのが寂しくなりました。お茶目で困ったバタヤンが恋しい。
北川れい子(映画評論家)
 
こんなおもしろいおっちゃんは後にも先にも出てこないと思います。
歌手としてだけでなく人間として魅力的。ずっと庶民の目線でい続けていましたね。
襟川クロ(映画パーソナリティ)
 
何度か田端さんとはテレビでご一緒させて頂きました。
もっと早くに出会いたかった、それだけが残念です。
ミッキー吉野(ミュージシャン)
 
こういう方がまた亡くなってしまったと思うと本当に悲しいです。
映画という形で後世の人たちに残せることは素晴らしいことだと思います。
岸本ひろし(ミュージシャン)
 
僕も音楽をずっとやってるんですけど、
ボクのルーツが寺内タケシさんで、更にそのルーツが田端先生だったりして。
すごい勉強というか、本当に音楽のいい映画でした。
田端さん、お疲れさまでした。ありがとうございました。
下田等(コンサート・プロモーター)
 
あの世でも小指を立てているのでしょうか。
やはり若さの秘訣ですよね。是非見習いたいと思います。
それにしても映画「オース!バタヤン」はバタヤンのすごい置き土産になりました。
長田勇市(「オース!バタヤン」撮影監督)
 
私がバタヤンを知ったのはちょうど十四の頃でした。
バタヤンの映画に関われるなんてホント思いもしませんでした。
いつまでも歌を聴かせてもらいます。
山川雅彦(「オース!バタヤン」プロデューサー)
 
暗い映画館を出たら、あなたが逝った新緑の青い空に向かって、
みんなが「オース!バタヤン」と手を振っていますよ。ありがとう、田端さん!!
田村孟太雲(「オース!バタヤン」監督)